【猫エス富子の一冊】『パールストリートのクレイジー女たち』 トレヴェニアン(著)/江國香織(訳)

 はじめまして、猫エス富子と申します。これからときおり、本のレポートをいたします。本を読むことは好きですが、海外文学に関しては、正真正銘のビギナーでございます。みなさま、どうぞおてやわらかにお願い致します。

 さて、ご紹介一冊目は、『パールストリートのクレイジー女たち』。一度でいいから、「このクレイジー女!」と罵られてみたいものですわ……あら?江國香織さまが翻訳されてますの?

 『きらきらひかる』や『神様のボート』など、江國さまの小説はいくつも拝読しておりますが、海外文学の翻訳もされているとは存知あげませんでした。本の帯には、「どうしても、これを自分で訳したいと思ってしまった」とございます。江國さまが、それほどお気に召したご本って、どのようなものなのでございましょう……拝読せずにはおられませんわ。

 著者のトレヴェニアンという殿方は、いくつものペンネームをお持ちのアメリカの覆面作家(ミステーリアス!)でいらっしゃって、かのクリント・イーストウッド監督によって映画化された作品もある……そして、これは彼の自伝的遺作、と。なるほど。

 さて、物語はと申しますと。1936年(戦前ですわね)、6歳の主人公は、母親と妹と一緒に、ニューヨーク州のスラム街パールストリートに引っ越してくる。長いあいだ行方をくらませていた、ペテン師同然の父親に突然呼び寄せられたから。しかし、(と申しますか、やはり)父親は現れない。
 三人はしかたなく、父親が用意した、ぼろアパートで生活をスタート。
 よくも悪くも子どものような無邪気さと無茶さをもつ、誇り高き母親は、定番の献立が芋のスープになってしまうくらいお金がなくても(ひっ!)、肺炎になるまでアルバイトに勤しんでも(ひっ!)、なんとか費用を捻出して、映画やラジオ、ダンスレッスンなど、子どもに心の豊かさを与える機会を欠かさない(すばらしいことでございます)。
 主人公は、そんな母親に<右腕さん>として頼りにされ、ときに、勘弁してほしいと思いながらも、期待に応えようと奮闘。スラムの乱暴な子どもたちにも一目置かれる存在に。ときどき、辛いこともあるけれど、大丈夫。だって、空想の世界では何にだってなれるから……と、一人複数役の戦場ごっこをしたり、読書に没頭したり。

 物語の前半は、少年時代への、懐かしさにあふれてございます。油断して読んでおりますと、いつの間にか、目頭が熱くなり、そうそう、わたくしもあの日、こんなふうに映画館の壁をよじ登りましたわ……、こんなふうにライフルに見立てた棒切れを地面に埋めましたわ……、と、自分ではやっていないことをやったような気にさえなってまいります。
 物語中盤、母親に恋人(いい方なのですが、服のセンスが悪く、お酒が入ると少々無茶をされます)ができ、生活に変化が。ああ、ぜったいに、ぜったいにまた悪いことが起こってしまいますわ……と、はらはらしながら読んでおりますと、はたして悪いことが起こってしまいます。ほら、だから申し上げましたのに……。
 とこのように、わたくしとは、時代も、境遇も、性別も違いますのに、すっと感情移入できるのが不思議でございます。

 コストパフォーマンスも、とてもよろしいです。2017年2月現在、定価は2300円(税抜)。日本文学の単行本と比べますと、すこしお高めではございますが、文字がぎっしりつまっておりますし(でも、読みやすいんですの)、長い時間楽しめます。
 猫エス富子、謹んでおすすめ申し上げます。

『パールストリートのクレイジー女たち』/トレヴェニアン(著)/江國香織(訳)/ホーム社(発行)・集英社(発売)

『パールストリートのクレイジー女たち』/トレヴェニアン(著)/江國香織(訳)/ホーム社(発行)・集英社(発売)

【文筆人の一冊】 『素数たちの孤独』 パオロ・ジョルダーノ(著)/『逃げてゆく水平線 』ロベルト・ピウミーニ(著)/おすすめ人 法政大学教授・翻訳家 金原瑞人さん

 【文筆人の一冊】第2回のおすすめ人は、法政大学社会学部教授・翻訳家の金原瑞人さん。訳書は、『パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々』、『わたしはマララ: 教育のために立ち上がり、タリバンに撃たれた少女』、『月と六ペンス』など、世界にはこんなに面白い話があるよ!と伝えたい気持ちで翻訳をつづけるうちに450冊をこえた。

 そんな金原さんのおすすめ1冊目は、イタリア人作家パオロ・ジョルダーノの『素数たちの孤独』。本国では200万部を売り上げた大ベストセラー。スキー中の事故で脚と心に癒せない傷を負った少女アリーチェと、数学の天才でありながらある出来事をきっかけに自分の殻に閉じこもる少年マッティアとの、ひりひりするほど切ない恋愛小説。

 金原さんが本書を手にしたのは、自身が発行する無料の海外文学紹介冊子BOOKMARK制作時に、イタリア文学翻訳家の関口英子さんから、英語圏以外の青春小説のおすすめとして教えてもらったのがきっかけ。

 「若い読者向けのボーイ・ミーツ・ガール小説にはめずらしく、出会って、すれちがって、をくりかえし、最後はいわゆる<ハッピーエンド>ではないところがいい。かといって絶望的な結末ではなく、説得力のある、リアルな救いが待っていて、この二人にとっては、これが最良のかたちだったのだと思える」と、金原さん。

 恋愛小説ながらスリリングな展開。主人公たちが孤独なだけあって、登場人物数も少ないところも海外文学ビギナーのわたしにはとっつきやすかった。

 おすすめ2冊目は、同じくイタリア人作家であるロベルト・ピウミーニの『逃げてゆく水平線』。もともと人間の近くにいた水平線が手のとどかない遠くへいってしまった理由についての表題作や、奇想天外な決闘のしかたを編み出した貴族たちの話、メガネ嫌いの主人のかわりにメガネをかけることにした足の話など、25篇のファンタジーがつまった短編集。

 金原さんは、書店でなんとなく目にとまった本を買うことがよくあるそうで、本書もそのようにして出会った一冊。表題作を立ち読みしたら面白かったのでそのまま買ってみた。

 「どの話もまず発想が面白い。その発想だけで終わらず、さらに面白いストーリーとして展開されていく」と、金原さん。

 本書を読んだわたしは、正直なところ、”オチ”のなさや、ストーリーに隠されているらしい”皮肉・社会風刺”がよくわからず、どのように本書を受けとめればよいのか、とまどった。

 それにたいして金原さんは、「いわゆるナンセンスもので、たしかに合う人と合わない人がいる。でも、単純にイメージの面白さを受けとめればいいのでは? 政治的な背景をベースにしている話などもあるが、そのあたりはあまり気にせず、単にストーリーを楽しめばOK!」という。そういってもらえると、肩の力を抜いて読むことができる。

 ごく短い話ばかりなので、気分転換をしたいとき、コーヒー片手にひとつ読んでみれば、きっとちょっと楽しい気分になれるはずだ。

 

法政大学教授・翻訳家 金原瑞人さん

法政大学教授・翻訳家 金原瑞人さん

『素数たちの孤独』/パオロ・ジョルダーノ(著)/飯田亮介(訳)/早川書房刊(ハヤカワepi文庫)

『素数たちの孤独』/パオロ・ジョルダーノ(著)/飯田亮介(訳)/早川書房刊(ハヤカワepi文庫)

『逃げてゆく水平線 (はじめて出逢う世界のおはなし イタリア編)』/ロベルト・ピウミーニ(著)/長野徹(訳)/東宣出版刊

『逃げてゆく水平線 (はじめて出逢う世界のおはなし イタリア編)』/ロベルト・ピウミーニ(著)/長野徹(訳)/東宣出版刊

金原さん発行の海外文学紹介冊子(無料)「BOOKMARK(ブックマーク)」の第5号『過去の物語が未来を語る』(2016年9月発行)。詳しくは、下記URLまで。 http://www.kanehara.jp/bookmark/

金原さん発行の海外文学紹介冊子(無料)「BOOKMARK(ブックマーク)」の第5号『過去の物語が未来を語る』(2016年9月発行)。詳しくは、下記URLまで。
http://www.kanehara.jp/bookmark/

【本屋さんで一冊】『波紋』 ルイーゼ・リンザー(著)上田 真而子(訳)/おすすめ人 B&B 寺島さやかさん

 小劇場、ライブハウス、古着屋さん、レコード屋さん、カフェ。数十年の間「若者」を蓄積してきた町、下北沢。駅から歩いて一分とかからない路地裏にあるビルの二階にB&Bはある。Book & Beer、ビールも飲める本屋さん、というわけだ。
 こじんまりとした店内には、味のある本棚が並び、天井からは、さまざまな形の照明や、雑貨がぶら下がっている。
 とくに表示がないので、どの棚に何があるのかわからない。適当にみていくと、海外文学の棚をみつけるまでに、ほとんどすべての本棚を見てまわるはめになった。しかし、これはB&Bさんによって仕掛けられたすてきな罠だった!
 B&Bさんでは、わざとジャンル表示をしていない。だから、お客さんは自然と各棚をのぞいていくことになり、普段は目を向けないような本と出会うことができるのだ。(ちなみに、明示されてはいないが、各本棚ごとに「旅」「乙女」など独自のジャンル分けがなされているらしい。)
 さて、お楽しみのために、海外文学の棚の位置は明かさないでおくが、なんと四本もある。英、米はもちろん、中南米、北欧、東欧、アフリカ、中東、アジアといろいろな国の本があり、お店の面積から考えればかなりの充実ぶり。

 そんな海外文学棚の本のセレクトを一手に担う寺島さんが今回のおすすめ人。わたし魔法が使えるの、と言われたら妙に納得してしまいそうな、魅惑的な女性だ。
 おすすめの一冊として手渡してくれたのが、ルイーゼ・リンザー作『波紋』。タイトル、表紙の絵からして重そう……。寺島さんも同じ印象を持っていたらしく、本の存在に気づきつつも、手に取ることはなかったという。だが、最近、疲れから意識も朦朧としていたある日、ついに買ってしまった。表紙裏のあらすじを見るかぎり、静かな気分になれそうだったので読んでみた。「でも全然静かじゃなかったんです!」と、寺島さんはいう。
 まず、主人公の少女がなかなか激情型。父親の出兵に伴う僧院への転居、森に住む少年との不思議な友情、担任の美しい女教師への恋(?)、など彼女を待ち受ける出来事自体もドラマチックで、それに対する少女のリアクションも激しい。
 だが、彼女の”激情”ぶりは、むしろ一つのことから彼女が感じ取るものの幅の広さにある。たとえば、教会の行事のために切った百合を眺めているシーン。月明かりの中、夜風に揺れる百合。少女はそれを眺めながら、さまざまなものを感じとる。情熱、秘密、興奮、興味、恐れ、官能、死、拒絶、暴力、優しさ。最後には、百合が毒を持った蛇を見えてくる。少女は、恐怖と、その危険をあじわいたいという誘惑の間で揺れる。この間におこった出来事らしい出来事といえば、蛾が一瞬花びらにとまり、飛び去っていった、ということだけ。しかも少女はこのとき、わずか5歳! この後、彼女がどのようなティーンエイジャーになっていくのか読まずにはいられない。
 他の登場人物も独特な魅力を持つ。現代アートのような創作物を森の小径に残し、主人公の心をわしづかみにする少年。決して怒らず、自らの行動で手本をしめすおばさま。「実生活では出会わないような大人に会えるのも、本の魅力ですね」と寺島さんはいう。
 本書は、たしかに疲れているときに、ほっこりするために読む本ではないかもしれない。けれど、少女の心の動きに身をまかせていれば、自分だけではたどりつけない別世界へ、ふっと行ける瞬間がある。
 著者ルイーゼ・リンザーが本書を執筆したのは、1939年、第二次世界大戦がはじまった年。きっと多くの人々を戦争の外側に連れ出してくれたことだろう。

 

B&B 寺島さやかさん。本について話すのがおそろしく上手で、つい他にもいろいろと買ってしまいました。

B&B 寺島さやかさん。本について話すのがおそろしく上手で、つい他にもいろいろと買ってしまいました。

『波紋』/ルイーゼ・リンザー(著)/上田真而子(訳)/岩波書店刊(岩波少年文庫)

『波紋』/ルイーゼ・リンザー(著)/上田真而子(訳)/岩波書店刊(岩波少年文庫)

毎日何かしら行われているというイベントもおもしろそう。早朝英会話教室も。

毎日何かしら行われているというイベントもおもしろそう。早朝英会話教室も。

 

<STORE INFO>
B&B
〒155-0031
東京都世田谷区北沢2-12-4
第2マツヤビル2F
Tel 03-6450-8272
Opening hours 12:00-24:00
URL http://bookandbeer.com/
 

 

【友人の一冊】『オリーヴ・キタリッジの生活』 エリザベス・ストラウト(著) 小川高義(訳) 

 友人というのはありがたい。単に好みが似かよっているのか、こちらの好みを把握しているのか、かなりの確率でストライク・ゾーンにおすすめの一冊を投げ込んでくる。
 だが、これほどズシンと芯に響くものはなかなかない。すすめてくれたのは、知的な眼差しが印象深い職場の元先輩で、今は映画の字幕制作に携わっている女性。
 『オリーヴ・キタリッジの生活』の著者エリザベス・ストラウトは、1956年アメリカのメイン州生まれ。小説家としてのデビューは遅めだが、長編1作目の『目覚めの季節 エイミーとイザベル』(1998年)でオレンジ賞とPEN/フォーグナー賞を受賞し、注目を浴びた。
 長編3作目にして2009年ピューリッツァー賞を受賞した本作は、アメリカ北東部にある小さな港町クロズビーの暮らしを描いている。連作短編形式で、タイトルにある女性オリーヴ・キタリッジが主人公である話もあれば、オリーヴの夫のヘンリー、教師時代の教え子、あるいはときどき訪れるバーのピアノ奏者が主人公で、オリーヴはほんのちょっとしか登場しないものもある。だが、すべてを通して読むと、オリーヴという女性の人生が立ち現れる。
 オリーヴの人生は、どうしようもなくかなしいことでいっぱいだ。自分なりの信念があってのふるまいなのに、町の人から偏屈で気難しいと思われている。大人になった息子のために手ずから美しい家を建てたのに、息子は高慢な嫁に連れられて大陸の真反対に移り住んでしまう。心通わせた同僚が、自殺とも思える事故で亡くなる。病院で立てこもり強盗に出くわす。そのうえ、診察着がはだけてあらわになった自分の肉体から、目を背けられる。夫が買ってきてくれた花をぞんざいに扱った一週間後、夫が倒れて意思疎通ができなくなる。
 どれひとつ、読者である私自身は経験したことがない。けれど、登場人物の心情が、丁寧に、誠実に描写されているからか、どれもがかなしい、とはっきりわかる。そのかなしさが、自身の感情の記憶のどこかをちくりと刺す。
 だが、世界がかなしみで塗り込められているということもまたない。最後の一編「川」では、オリーヴは70代半ばの未亡人になっていて、それまでいろいろなことに傷つき、いろいろな人を傷つけてきたオリーヴだからこそめぐりあえる情熱が描かれている。その最後の一行を読みおえたとき、不思議な衝撃を受ける。人々の日々の暮らしを描いた物語を読んだはずなのに、自分が生きている世界そのものを見せつけられたような気分になるのだ。その世界が、目にうつる一人一人の前にうしろに延びていると思うと、ただただ圧倒されてしまう。
 本書は、正直にいって、海外文学ビギナーである私には、読みすすめるのがむずかしかった。登場人物の数が多いうえ、呼び方が下の名前、名字、あだ名、とさまざまに変化する(同じ名前の人もいる!)。物語自体も、辛抱して2話、3話と読みすすめれば、日課のようにクロズビーの町の人々やオリーヴに会いたくなるが、最初からページをめくる手が止まらない!という類のものではない。
 けれど、もし途中で挫けていたら、と思うとぞっとする。最後まで読みとおすことができて、ほんとうによかったと思える一冊だった。

 

『オリーヴ・キタリッジの生活』/エリザベス・ストラウト(著)/小川高義(訳)/早川書房刊(ハヤカワepi文庫)

『オリーヴ・キタリッジの生活』/エリザベス・ストラウト(著)/小川高義(訳)/早川書房刊(ハヤカワepi文庫)

【ジャケ買いの一冊】『楽しい夜』 マリー=ヘレン・ベルティーノ他(著) 岸本佐知子(編訳)

 【ジャケ買いの一冊】コーナー第2回目にして早くも引き当ててしまった!
 最近は、日本文学の単行本でも、素敵な表紙だなと思ったものは手にとって、装丁家の名前を確かめるようにしている。すると、またお会いしましたね、という人が出てくる。わたしを惹きつけてやまない装丁家は三人いる。
 その中の一人が、名久井直子さん。先日芥川賞を受賞した本谷有希子さんの『異類婚姻譚』の他、川上未映子さん、綿谷りささん、江國香織さんの本なども多く手がけ、インターネット上には「名久井直子さんの表紙まとめ」まであるほどの人気装丁家だ。
 この本の装丁も彼女。可愛らしい色合いとやや不気味な写真との対照が気になる。ちなみに写真を撮ったのは、Kersti Kさんというスウェーデンの若い写真家。顔を隠した人間の身体を風景の中に置いた作品が多いようだ。

 さて、『楽しい夜』は表題作を含む11作品が入った短編集だ。翻訳家の岸本佐知子さん自身がぐっと来た作品を集めたもので、著者やジャンルもさまざま、共通のテーマもなし。
 複数の著者の作品の短編集はそういえば初めて読んだが、同一の著者の短編集にはない面白さがある。文体の違いを味わえる、ということだ。いくつか並べてみよう。

 葬儀場で働いている友人のギズモは、ときどき防腐処理の済んだ遺体の髪をタバコのように吸う。匂いは気にならないらしい。ひどい匂いには慣れっこなのだ。彼に言わせると、そうやってしばらく吸っていると、遺体の生前の記憶が映画みたいに頭の中に映しだされるのだそうだ。ただし子供の髪は吸わない。「いっぺんやってみたんだけどさ」と彼は言う。「それからまる二日間、同じ犬が頭の中で何度も何度も死ぬんだよ」
 

「亡骸スモーカー」 アリッサ・ナッティング

 次の日の夜、あれが起こった場所に行ったら、あの子の小っちゃな赤いリボンが落ちていた。
 おれはリボンを家にもって帰り、テーブルの上に放り出して言った、ああちくしょう、ちくしょう。
 それをようく見ておくんだ、おれも見ておくからよ、とマット叔父が言った。おれたちはこのことを決して忘れない、ちがうか?

「赤いリボン」 ジョージ・ソーンダーズ

 古来、詩人たちは村をとりまく小高い緑の丘々を指しては、いかにあれらの低い山が、理不尽なうねり方といい尾根の起伏のぐあいといい、眠っている男女の姿にそっくりであるかを、歌や物語で言いつづけてきた。現実的な人々はみな、まあちょっとばかし大げさに言ってみたんだろう、なにしろ詩人というのはああいう連中だからな、などと思っていた。ところがある朝、誰も経験したことのないようなことが起こった。人間たちが−−−そのころ村には五百人ほどが住んでいたのだが−−−朝食を済ませ、子供らに服を着せようとしていた矢先に、それは起こった。

「テオ」 デイヴ・エガーズ

 

 どれも各作品の冒頭部分だが、空気がまるでちがう。「亡骸スモーカー」はちょっと夢の中にいるような、淡い色のヴェールをかけられているような感じがする。「赤いリボン」には詰め寄ってこられるような圧迫感、息苦しさがある。「テオ」は神話を語っているような雰囲気だ。一つの物語を読み進めていけば、その作品独自の世界観が深まっていく。そして次の物語にうつれば、まったく別の世界が広がっている。そんな世界の転換を一冊で十回も味わえるのだから、なんともお得だ。

 これだけさまざまなテイストの作品が並んでいれば、ぐっとくる作品にきっと出会えるはずだ。わたしは、以前ご紹介したミランダ・ジュライの「ロイ・スパイヴィ」もやっぱり好きだったが、ラモーナ・オースベルという女性作家の「安全航海」の美しさにノックアウトされた。
 どうやら死への旅の途中であるらしい大勢の「祖母」たちが、三途の川を渡るどころか、貨物船に乗って大海原を渡っていく。彼女たちは事態に困惑しつつも、互いのイヤリングを褒めあい、世間話(や自慢話!)を忘れない。
 やがて夜になり、「祖母」たちは肩を寄せ合い、毛布にくるまる。「ねえ、わたしのことをお話して」一人が言う。みんなが少しずつ、誰のことでもあり、誰のことでもない答えを重ねていく。「あなたが生まれて、お母さんはそれはそれは喜んだのよ」「子供のころのあなたはね、髪の毛が天使みたいだった」「ブルーのドレスを着たあなたのお姉さん、とってもきれいだった」そして、それぞれが、それぞれのブルーのドレスを思い浮かべる。
 せっかく海の上にいるのだから、と「祖母」たちは野球バットで作った即席の釣竿を膝の上に構える。ある者は子守唄を、ある者はテレビの主題歌を、みんなてんでんばらばらな歌をハミングしながら釣り糸を垂れていると、アンコウが釣り上げられる。彼女たちはアンコウに自分の愛する人たちの名前をつけ、海に帰す。「さよなら、ニール!」「さよなら、アルバート!」「さよなら、ニクソン!」「さよなら、ビル!」

 ……と、書いてみたが、この作品の美しさを伝えられた自信がない、ので、この人生の瑞々しさにあふれた死の旅をぜひ読んでみてください。

『楽しい夜』/マリー=ヘレン・ベルティーノ他(著)/岸本佐知子(編訳)/講談社刊

『楽しい夜』/マリー=ヘレン・ベルティーノ他(著)/岸本佐知子(編訳)/講談社刊

【本屋さんで一冊】『ヴァレンタインズ』 オラフ・オラフソン(著) 岩本正恵(訳)/おすすめ人 MARUZEN&ジュンク堂書店渋谷店 勝間準さん

 渋谷駅から雑踏の中を10分ほど歩いて、ドン・キホーテの前の横断歩道を渡ると、ふっと街の狂騒が途絶える。目の前には東急百貨店本店。奥にはマダムな劇場や映画館が控える。落ち着きと余裕に満ちた店内によろよろと足を踏み入れれば、貴婦人が出てきて紅茶の一杯もふるまってくれそう……だが、完全に気のせいなので、7階のMARUZEN&ジュンク堂書店渋谷店に直行する。
 さすがは大御所書店。歩いても歩いても、本棚、本棚、本棚だ。海外文学も各国ごと、ジャンルごとに棚が設けられている。表紙が正面に向けられている本も多い。気になる本から気になる本へ渡り歩いていると、あっという間に時間が経ってしまいそうだ。待ち合わせ前に立ち寄ってはいけない!
 今回のおすすめ人は、文芸書担当の勝間準さん。私が連れていた赤子にもにこにこと話しかけてくれ、なんとも優しそうだ。手渡してくれたのは、『ヴァレンタインズ』。北欧の島国アイスランドの作品。勝間さんもその点がめずらしくて手が伸びたという。<一月>から<十二月>まで12編ある短編集だ。「どの話も後味が悪いんですよね。」温和そうな微笑みをたたえたまま、勝間さんが言った。読んでみたいと思うに十分な一言だった。
 著者オラフ・オラフソンは一風変わった経歴の持ち主だ。1962年、アイスランド生まれ。大学で物理学を学んだあと、ソニー・アメリカに入社、のちにソニー・インタラクティブ・エンタテインメントの初代社長となり、ゲーム機プレイステーションの世界展開の立役者となった。小説を書きはじめたのは30年ほど前。本書はアイスランド語と英語の両方で刊行され、それぞれアイスランド文学賞とO・ヘンリー賞(本書中の「四月」)を受賞している。
 本書のタイトル『ヴァレンタインズ』は、ヴァレンタイン・デー自体ではなく、ヴァレンタイン・デーにカードを送りあう人たち、つまり、愛し合う人たち、というような意味のようだ。
 12編の短編は相互に関連はないが、どれも一組の「愛し合う人たち」を描いている。だが、「愛し合う人たち」が常に幸福であるとはかぎらない。自分の感情をコントロールせずにはいられない証券マンと心を病んだ元恋人。離婚の危機を乗り越えようと海辺の別荘を訪れる夫婦。溺れる息子の手を離してしまった男とその妻。妻がレズビアンであることをカミングアウトして離婚することになり、ガレージセールを開催する夫婦。緩衝材となっていた妻(母)を亡くしたあとの父と娘。酒のせいで亀裂の生じた15年来のバンド仲間。いずれもお互いのことを思っているのに、やるせない結末に至る。その悲劇性は、誰かが悪いわけではない、というところにあるのではないだろうか。みんな、どうしようもない自分の性質を抱えていて、そのとき、他の選択肢を取ることができない。どんなに抗おうとしても、渦の強さに飲みこまれてしまう。どうしてこんなことに! かつて求めたものと現在地との距離に絶望する。その様子を綴る文章はシンプルで、だからこそしんしんと骨身に沁みこみ、芯をきしませてくる。
 12の物語はどれも救いがない。けれど、いま、自分にも、起こっていることかもしれない。

 

 

MARUZEN&ジュンク堂書店渋谷店 文芸書担当 勝間準さん

MARUZEN&ジュンク堂書店渋谷店 文芸書担当 勝間準さん

『ヴァレンタインズ』/オラフ・オラフソン(著)/岩本正恵(訳)/白水社刊

『ヴァレンタインズ』/オラフ・オラフソン(著)/岩本正恵(訳)/白水社刊

<STORE INFO>
MARUZEN&ジュンク堂書店渋谷店
東京都渋谷区道玄坂2-24-1東急百貨店本店7F
Tel 03-5456-2111
Opening hours 10:00-21:00
URL http://honto.jp/store/detail_1570061_14HB320.html

 

【文筆人の一冊】『園芸家12カ月』カレル・チャペック(著)小松太郎(訳)/おすすめ人 翻訳家 三村美智子さん

 文筆業に関わる方におすすめの本をうかがう「文筆人の一冊」コーナー。第一回目は、翻訳家の三村美智子さん。
 三村さんは、出版社で編集者として児童文学、英米文学を担当したのち、フリーランスのジャーナリスト、翻訳家として活躍。翻訳学校フェロー・アカデミーの講師も務める。訳書は、絵本『ちびフクロウのぼうけん』(ノーラ・スロイェギン著/ピルッコ・リーサ・スロイェギン絵/福音館書店刊)、『なにがはじまるの?』(ピーター・メイル著/谷川俊太郎と共訳/河出書房新社刊)、からノンフィクション『動物と分かちあう人生』(エリザベス・オリバー著/河出書房新社刊)まで多岐にわたる。
 おすすめいただいたのは、カレル・チャペックのエッセイ『園芸家12カ月』。
 著者チャペックは、チェコの作家、劇作家、ジャーナリスト……兼園芸マニア! 本書では、草花のことで頭がいっぱいな園芸家たちが、一年を通して、植物の世話に心を砕き、植物の一挙手一投足に一喜一憂するさまがユーモラスに描かれている。
 三村さん自身も大の植物好きで、自宅のベランダには40近い鉢植えが並べられている。本書を手に取ったのは20年ほど前。植物に関する本を探す中で出会った。
 「植物が好きな人にはたまらない」と、三村さんは目を輝かせる。単に同じ植物好きとして共感できるだけでなく、ぜひとも見てみたいと思う光景がつぶさに、しかもチャペックでなければしないような表現で描かれているからだという。たとえば、種を抱いて成長する植物の様子が、こんなふうに書かれている。
「ほとんどすべての植物が、自分の種を帽子のように頭にのせながら、上へむかってはえるのだ。想像してみたまえ。かりに赤ん坊が生まれるとすると、母親を頭の上にのっけて生まれるのだ。」
 思わずくすっと笑ってしまうが、たしかにそうだと頷かせられる。
 観察眼のすごさも魅力だという。たとえば、ホースで水をまくことのむずかしさについて。ホースを「非常に陰険な動物」にたとえ、人間がそれを「手なずける」ために悪戦苦闘する様子がまるまる1ページにわたって仔細に書かれている。「ホースだけについて1ページも書ける人って他にいないんじゃないかしら」と、三村さんは楽しそうに笑う。
 だが、植物の話だけにとどまらないのが本書のすごいところだという。園芸カタログをギリシャ神話になぞらえ、エデンの園を舞台に堆肥の話をし、発芽をテーマに行進曲を作る。植物の話をしていたのに、気がつけば、労働の話、女性の話、母親との思い出、料理、ドイツ哲学、人生、といろいろな分野に入りこんでいく。
 ところで、ここまで本の内容について触れたが、三村さんが最初に挙げたのは、翻訳のすばらしさだった。三村さん自身は、英語から日本語への翻訳を手掛けているが、「原文が何語であっても、日本語を読めばその訳が良いかどうかわかる」という信念を持つ。本書の原文はチェコ語。訳者小松太郎さんはドイツ語の専門家で、チェコ語がドイツ語に翻訳されたものを日本語に訳している。だが、「その日本語が実にいきいきしている」と、三村さんはいう。本書出版ののちに、『園芸家の一年』というタイトルで、直接チェコ語から日本語に翻訳された新訳版が出版された。その訳者であるチェコ語の専門家飯島周さんも小松太郎さんの翻訳を絶賛しているそうだ。
 実は、チャペックの影響を受けて書かれた日本の本がある。いとうせいこうさんの『自己流園芸ベランダ派』だ(この前に『ボタニカル・ライフ−植物生活』/新潮社刊(新潮文庫)もある)。チャペックが庭に草木を植えて楽しむガーデナーであるのに対して、いとうせいこうさんはベランダで鉢植えを楽しむベランダー。チャペックに負けず劣らずユーモラスないとうせいこう節炸裂の植物エッセイだ。「植物に対する喜怒哀楽は同じだと感じますね」と、三村さんはいう。
 さて、三村さんにお話をうかがった私自身はというと、知っている花といえば、バラ、ヒマワリ、ユリ、チューリップ、パンジー……くらいのもの。マンションの敷地内に生えている木の名前も気にしたことがない。けれど、最近、買い物帰りにふと気づくと観葉植物店で多肉植物なんかをしげしげと眺めていた。これは本書の影響にちがいない。「草木を見ながら人間を見てる。それがこの作品の深いところ」と植物好きの三村さんはいうが、私のような植物にあまり関心のない者もチャペックの描く人間の面白さから草木に興味を持たされてしまう、というのもまた本書の強さかもしれない。

 

翻訳家 三村美智子さん

翻訳家 三村美智子さん

『園芸家12カ月』/カレル・チャペック(著)/小松太郎(訳)/中央公論新社刊(中公文庫)

『園芸家12カ月』/カレル・チャペック(著)/小松太郎(訳)/中央公論新社刊(中公文庫)

  三村さんが所有の旧版表紙。イラストはカレルの兄ヨゼフ・チャペック。本文中にも挿絵多数。

  三村さんが所有の旧版表紙。イラストはカレルの兄ヨゼフ・チャペック。本文中にも挿絵多数。

『自己流園芸ベランダ派』/いとうせいこう(著)/河出書房新社刊(河出文庫)

『自己流園芸ベランダ派』/いとうせいこう(著)/河出書房新社刊(河出文庫)

【本屋さんで一冊】『ターシャの家』ターシャ・テューダー(著)リチャード・W・ブラウン(写真)食野雅子(訳)/おすすめ人 しまぶっく 渡辺富士雄さん

 東京都現代美術館の中を散歩でもしようと、清澄白河へ来た。佃煮屋さんや焼き鳥屋さんなど、昔ながらの個人商店が並ぶ深川資料館通りを歩いていると、エプロン姿の男性が次から次へと木箱を店の前に並べている。中身は絵本。「しまぶっく」という古本屋さんで、ちょうど開店したところらしい。
 横長の店内には、天井まで届きそうな本棚がびっちりと並んでいるが、ガラス戸から射し込む陽光のせいなのか、姿勢を正したような本の並び方のせいなのか、不思議な爽やかさがある。通路もゆったりしている。品揃えも哲学書から絵本まで幅広い。海外の小説は定番の古典作品が多い印象。

 店主の渡辺富士雄さんが、「こんなふうに歳を取りたいよね」と手渡してくださったのが、『ターシャの家』。ターシャ・テューダーというアメリカの女性絵本作家の家やライフスタイルを彼女のコメントつきで紹介する写真集だ。
 ボストンの名家に生まれつくが、社交界には興味なし、少女時代の夢は「牛を飼うこと」だったというターシャは、四人の子どもを育て終えた56歳から、バーモント州の山奥に理想の家を作りはじめる。古い農家をモデルにしたその家は、絢爛豪華とは正反対。けれど、木々や草花に囲まれ、隅々まで彼女のお気に入りが詰まった、ある意味でとても贅沢な空間だ。家具や食器、長靴から缶切り一つまで、ターシャのセンスによって選び抜かれ、長い年月使いこまれたものだけが持つ温かみを帯びている。整い過ぎていないところもまたいい。納屋の隅には蜘蛛の巣が張り、電話近くの壁には電話番号がいくつも殴り書きされている。住人と一緒に年を重ねる、生きた家という感じがする。キッチン、リビング、アトリエ、納屋、とページをめくれば、生活そのものを静かに、丁寧に、楽しむターシャの姿が目に浮かぶ。「写真を眺めているだけで癒される」という渡辺さんの言葉にも納得だ。
 ターシャは2008年、92歳でこの世を去ったようだが、この本が出版された2005年当時、90歳、34年間住みつづけているこの家を今まで住んだ中で「一番、いい家」だと言っている。

 自分の家のリビングでこの本を閉じ、ふと部屋を見回すと、スタイルもへったくれもない。それ以前に、いろんなものがいろんなところに散乱していて、汚い……。取り急ぎ、生活に支障がない程度に整理整頓して、それから焦らず自分なりの空間を作っていこうと思う……。

『ターシャの家』/ターシャ・テューダー(著)/リチャード・W・ブラウン(写真)/食野雅子(訳)/KADOKAWA  

『ターシャの家』/ターシャ・テューダー(著)/リチャード・W・ブラウン(写真)/食野雅子(訳)/KADOKAWA

 

しまぶっく店主渡辺富士雄さん

しまぶっく店主渡辺富士雄さん

しまぶっく店舗外観

しまぶっく店舗外観

<STORE INFO>
しまぶっく
東京都江東区三好2-13-2
Tel 03-6240-3262
Opening hours Tue.-Sun. 12:00-19:00[月曜定休]

 

【本屋さんで一冊】 『あなたを選んでくれるもの』 ミランダ・ジュライ(著) ブリジット・サイアー(写真) 岸本佐知子(訳)/おすすめ人 SHIBUYA PUBLISHING & BOOKSELLERS

 北欧を愛す友人から、素敵な本屋さんがある、と聞いて行ってみた。渋谷駅から歩いて十五分ほど、雰囲気のいいレストランやカフェが点在する閑静な住宅街の中に、SHIBUYA PUBLISHING & BOOKSELLERSはある。ガラス越しに、白を基調とした店内が見える。そのスタイリッシュさに、少々緊張しながら入店。アート系、ライフスタイル系からエッセイ、絵本、漫画まで幅広いジャンルをカバーしている。雑貨コーナーや小さなギャラリースペースもあり、奥には編集部が併設されている(店名にあるとおり、この本屋さんは独自に出版も行っている)。
 海外文学は、各ジャンルの棚に散らばっている以外にも新着コーナーが設けられており、そこに並ぶ本も「ジャケ買い」してしまいそうな、目を引く表紙のものばかりだ。

 店頭のスタッフの方におすすめをうかがってみた。
  「海外文学というか、インタビュー集なんですけど……」と手渡していただいたのは、『あなたを選んでくれるもの』。クリエイター系の友人の共感を呼んでいる、ということだった。なるほど、著者はミランダ・ジュライというアメリカ人女性で、パフォーマンス・アーティスト、映画監督、女優、小説家などさまざまな方面で活躍しているらしい。本の袖には彼女の繊細そうな横顔の写真が載っている。
 わたしはインタビュー集を読んだことがなかったのだが、いい機会なのでこちらを購入した。

 自ら監督、脚本、主演をつとめた『君とボクの虹色の世界』がカンヌ映画祭でカメラドール(新人監督賞)を受賞してから4年後の2009年、ミランダは、次回作の脚本に行き詰まり、自己嫌悪に陥りながらもネット漬けの日々を送っている。
 息抜きは、毎週火曜日に届く「ペニーセイバー」をすみずみまで読むこと。無料配布されているザラ紙の小冊子で、いろんな人の「売ります」広告が掲載されているのだ。ある日、ミランダは、ネット漬けの自分から脱出を図るため、「ペニーセイバー」で革のジャケットを10ドルで売ろうとしている男に電話をかける。そして、カメラマンとアシスタントを連れてその人自身について、インタビューしにでかけていく。
  ドアの向こうに立っていた男は、「六十代後半、太い胴回り、広い肩幅、丸っこい鼻、赤紫のブラウス、ふくらんだ胸、ピンクの口紅」。性転換中だった。文字ではさらりと読めてしまうが、ぺらりとページをめくったときに現れる彼の写真はなまなましく、どきっとさせられる。ミランダもやはり少し動揺するが、無言のままエレベーターを降りて外に出たときには、「ほとんど不可能に近いチャレンジ」に信念を抱く彼の姿に勇気をもらい、晴れ晴れとした希望を胸に抱いている。
 これを皮切りに、ミランダは次から次へと「ペニーセイバー」に広告を掲載している売主を訪ねる。自分で育てたオタマジャクシを売る男子高校生、赤の他人のアルバムを売る移民の主婦、カラーペン・セットを売る、足首にGPSをつけた男……。そうして、ネットではなく、「生身の人間」から衝撃を受け、前進し(あるいは、一見後退し)、ついには一本の映画を完成させる。

 この本はたしかに濃厚なインタビュー集だ。話を引きだすミランダの共感力、感じたことをそのまま書く誠実さ(わたしだったら関係者が読んだときに備えて、同じ状態を表すもっとあたりさわりのない言葉を選んでしまうと思う……)、どれもすごい。けれど、それだけでは終わらない。性転換チャレンジ中のマイケルがミランダに希望を与えたように、神様が仕組んだとしか思えない出会いと別れの中でミランダが「信念」を取り戻していく姿が、今度は読者に人生への希望を感じさせてくれる。

『あなたを選んでくれるもの』/ミランダ・ジュライ(著)/ブリジット・サイアー(写真)/岸本佐知子(訳)/新潮社刊

『あなたを選んでくれるもの』/ミランダ・ジュライ(著)/ブリジット・サイアー(写真)/岸本佐知子(訳)/新潮社刊

SHIBUYA PUBLISHING & BOOKSELLERS 店内

SHIBUYA PUBLISHING & BOOKSELLERS 店内

店舗外観

店舗外観

<STORE INFO>
SHIBUYA PUBLISHING & BOOKSELLERS
東京都渋谷区神山町17-3テラス神山1F
Tel 03-5465-0588
Opening hours Mon.-Sat. 12:00-24:00/Sun. 12:00-22:00 [不定休]
URL http://www.shibuyabooks.co.jp/

【ジャケ買いの一冊】『たぶん、愛の話』 マルタン・パージュ(著) 河村真紀子(訳)

 私自身が表紙を気に入って読んでみた本をご紹介する【ジャケ買いの一冊】コーナー第1回。

 無表情に立ち尽くす男性、の首に誰か巻きついている。棚に並べられていれば目をひかずにはおかないイラストだ。奥様運び選手権(フィンランドなどで行われている男性が奥様を運ぶ競技)に挑戦する夫婦の話だろうか、はたまた、マフラーの精に憑りつかれた男の話だろうか、と想像をめぐらせていたところでタイトルが目にとびこんでくる……「たぶん、愛の話」! そうだったのか!
 一応、売り場を一周してみるも、このタイトルが頭から離れなかった。「たぶん、愛の話」。過ぎ去ったものを振り返ったときにそうだったのかもと初めて気づく、そんな愛のとらえきれなさを感じる。
 白い表紙カバーの下にのぞく本体の色は、鮮やかな青。装幀は発行元である近代文藝社の渡部美穂さん、イラストは無印良品のキャンペーンイラストなどを担当しているイラストレーターのノリタケさん。

 著者のマルタン・パージュは40代のフランス人作家で、デビュー作『僕はどうやってバカになったか』(青土社)が30ヶ国以上の言語に翻訳され、世界的ベストセラーとなっている。本書はフランスの五大文学賞の一つ、ルノドー賞の候補作にもなっている。

 舞台は現代のパリ。ある日、主人公のヴィルジルが仕事から帰ると、留守番電話に別れを告げるメッセージが吹き込まれている。クララと名乗るその女性に、ヴィルジルはまったく覚えがない。だが、彼は、しばらくの間、落ち込んだり、気を取りなおしたり、友人に甘えたりしたあと、人生の何かを変えるためにクララを探し出すことを決意する……というお話。
 この最初の設定も面白いが、何より魅力的なのは登場人物たちだった。
 主人公ヴィルジルは、三十一歳、男性、独身、広告代理店で働く優秀なコピーライター(ネガティブな性格が生み出すシニカルな宣伝文句が好評)。彼以外の住人はみな娼婦というアパルトマンに住み、定期的に精神分析クリニックやヨガ教室に通う。好きなものは、モノクロ映画(気に入ったカラー映画は自分でモノクロ化する)、チコリのコーヒー、レコード盤など。そして、何よりパリの町を愛している。「人々がする普通のことを理解することが苦手」と自覚する変わり者だが、愛嬌がある。たとえば、留守番電話のメッセージに衝撃を受けた彼は、「留守番電話を胸にぎゅっと抱え」て、かかりつけの精神分析医の元を訪れる。さらに、自分は脳の病気だからもうすぐ死ぬと思い込んで衝動的に電気を解約してしまい、結局、夜は洞窟探検用のヘルメットをかぶることにする。なんだかかわいらしい。個人的に共感できるところも多い。「努力をしたときに得られる感動」のために働くことを好み、仕事に「静けさとルーティンワーク」を望むところ。パリが好きな理由が「一週間、皿洗いをしなくても、髭を剃らなくても、いい加減な服装でいても、パリは放っておいてくれた」からであるところ。「待ち合わせ」はつねに「不安の原因」になり得て、待ち合わせの前には「ウォーミングアップ」をしたりするところ、などなど。こんな「苦しみを避けるために、目立たないようにすることと動かないことを心に決め」ている主人公が、クララ探しの旅に出て、どう変わるのか。ある時は一緒になってはらはらし、ある時は本を持つ手に力が入るほど応援してしまう。
 この作品には、女性が多く登場するが、これまたそれぞれに魅力的な個性の持ち主だ。大学の哲学科で知り合い、親友となったアルメルは、占い師で、女性の恋人がいる。穏やかだが、ゆるぎない強さを持ち、いつもヴィルジルに必要な言葉をくれる。上司のシモーヌは、「アリババの洞窟」のような仕事部屋を持ち、インド風の服を着て、シロクジャクの羽根を手に、昇進と昇給を迫ってヴィルジルを困らせるが、ふだんは自然な威厳とユーモアのある素敵な女性だ。ヴィルジルが一瞬恋をしたというフォスティーヌは、デモ好きなグラフィックデザイナー。ネットでありとあらゆるものを売り買いして、常に部屋の模様替えをしている。みんな風変わりなのに、不思議なリアリティがあり、生き生きしている。

 文章も、チャーミングで美しく、いくつも気に入った文があるのでぜひともここに引用したいところだが、きりがないので、こちらは実際に本を手に取って最初の章(ほんの4ページちょっとなので)だけでも読んでみていただきたい。そして最後まで読めば、ヴィルジルと一緒にちょっと強くなれる気がするのではないだろうか。

 この物語に私を呼び寄せてくれた表紙に感謝しつつ、マルタン・パージュの次の翻訳が出るのを楽しみに待つ。

『たぶん、愛の話』/マルタン・パージュ(著)/河村真紀子(訳)/近代文藝社刊

『たぶん、愛の話』/マルタン・パージュ(著)/河村真紀子(訳)/近代文藝社刊

【本屋さんで一冊】 『幽霊たち』 ポール・オースター(著) 柴田元幸(訳)/おすすめ人 スタンダードブックストア心斎橋 書籍担当 佐倉瑛士さん

 町の本屋さんおすすめの一冊を読んでみる、というコーナー。第一回は、「本屋ですが、ベストセラーはおいてません。」というキャッチコピーに心つかまり、大阪の心斎橋、アメリカ村にあるスタンダードブックストア心斎橋に行った。アート系の本を中心とした一階と、文芸系の地下一階があり、それぞれに雑貨コーナー、地下にはカフェコーナーが併設されている。落ち着いた雰囲気の店内には、なるほど、独自の目線で一冊一冊選ばれたことがわかる本が丁寧に並べられている。
 海外文学コーナーは地下。何本もの棚にわたって、各国の本が並べられている。絵本も豊富だ。

 おすすめの一冊をうかがったのは、書籍担当の佐倉瑛士さん。静かな口調の中にも本好きの熱が感じられる。
 「探偵小説なのに、何も起こらないんです」と手渡していただいたのが『幽霊たち』。著者はポール・オースター。ユダヤ系アメリカ人だ。「まだ60代で現役バリバリですよ」ときいて、恥ずかしながら驚いた。お名前は本屋さんでよく目にしていたものの、ずっと昔の方だと思っていた。日本の60代の作家といえば、村上春樹さん、伊集院静さん、浅田次郎さん、などなど、たしかにバリバリだ。
 子どものころから海外文学好きだった佐倉さん。中でもお気に入りを訳していたのが柴田元幸さんで、柴田さんの訳書を探すうちにこの本にたどりついたという。

 さて、家に帰って早速読んでみた。
 若き探偵ブルーは、正体不明の依頼人ホワイトから仕事を受ける。ブラックという男を見張り、週一回報告書を送ること。(主な登場人物はこの3人だけで、名前もシンプルなところが、海外文学ビギナーにはありがたい。)
 ブルーは、用意されたアパートの一室から、向かいに住むブラックを一日中見張る。けれど、読書、書き物、散歩以外、特に何かをする様子はない。ブルーは、報告書にブラックの行動を逐一細部まで記述する。それなのに、ブラックについて何も書けていないような気になる。
 見張り生活をつづける中で、ブルーは、師や恋人を失い、外部と接触することがなくなる。ブルーの生活にあるのは、ブルー自身と、ブラックだけ。そのうち、ブルーはブラックを見ていなくても、彼の行動が手に取るようにわかるようになる。
 一年以上の月日がたち、ブルーはある疑念を抱く。自分も誰かに見張られているのではないか?
 そして、ブルーは、ブラックに直接接触することを決意し……という物語。

 たしかに、「何も起こらない」。なんといっても見張る対象が何もしないのだから、何も起こりようがない。
 そこで、手持無沙汰なブルーは、人生ではじめて「自分の内部にある世界」について考える。この探偵小説は、事件の謎をとくのではなく、自分とは何か、自分というものの根拠とは何か、について探究する物語ではないだろうか。
 読了後、わたしが感じたのは「不安」だった。自分の輪郭が、どんどんぼやけて形を失っていく、そんな不安だ。
 ブルーは、師や恋人といった、外から自分を認識してくれる「目」としての他者が排除された空間で、ただブラックとだけ向き合う。そして、彼の中に自分を見るようになる。「ブラックの孤独」は「自らの孤独」、「ブラックの中に入っていく」ことは「自分の中に入っていくこと」、というふうに。
 ブルーとブラックとの直接対決、かぎかっこなしで並べられる二人の対話は、読んでいるうちにどちらがどちらかわからなくなりそうになる。そしてそのうちに、まるで、自分が、自分の中のもう一人の自分と話している気分になる。
 何をしたのかすべて知っているのに、どれだけ言葉を連ねてもその間からこぼれおちる「自分」というもの。おそろしいけれど、向き合うことを避けては通れない「自分」というもの。そんなものについて考えさせられる一冊だった。

 と、なんだかエラそうに書いてしまったけれど、正直に告白すれば、最後まで読んで、すぐにもう一度頭から読み直した。わからなかったからだ。二度読んだ今でも、胸をはって(?)「わからない!」と言える。だけど、二度とも、夢中で読み切った。面白かったからだ。わからんくせに面白いとか言うな!という批判の声はごもっとも……でも、読めばきっと何かが心に残るはず。

 

 

 

スタンダードブックストア心斎橋 書籍担当 佐倉瑛士さん

スタンダードブックストア心斎橋
書籍担当 佐倉瑛士さん

『幽霊たち』/ポール・オースター(著)/柴田元幸(訳)/新潮文庫刊

『幽霊たち』/ポール・オースター(著)/柴田元幸(訳)/新潮文庫刊

<STORE INFO>
スタンダードブックストア心斎橋
大阪府大阪市中央区西心斎橋2-2-12
クリスタグランドビル1F BF
Tel 06-6484-2239
Opening hours 11:00am-10:30pm
URL http://www.standardbookstore.com/